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「横濱歴史建築散歩」 〜横濱のまちと建築〜 吉田鋼市(横浜国立大学教授) |
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記念すべき第一回横濱通養成講座では横浜国立大学教授である吉田鋼市先生に「横濱歴史建築散歩」と題して講義をしていただきました。 「21世紀の成熟社会のまちづくりにおいては、まちの歴史的資産の活用というのが、余裕があればやりなさいというものではなく、それが中心的な課題である」ことや、特にヨーロッパなどの欧米諸国では都市の歴史的建築物が、精神的・文化的価値だけでなく、社会的・経済的価値を持つ資本であると同時に自分たちのコミュニティの財産であるという考え方が定着していることをそうです。 そして横浜はそういった歴史的なものをまちづくりに生かす施策、方策の先進都市であり、20年以上も前から、どういう資産があるか調査を始め、膨大なリストを作っており、我々の宝物、財産は何かと探し出し、少しずつ歴史的な建築物の保存を進めてきたことを、スライドを交えてお話いただきました。 しかし、関内にあるような近代建築の場合、経済的にペイしなければ残すことができず、場合によっては部分的にしか残すことができない場合や、現代的な用途に合わせて、改修を行うことが必要な場合も出てきます。その場合に「オーセンティシティ」(本物であること)、つまり、どこまで変えたらそれが本物といえるか、本物でなくなるのかという問題、建物のアイデンティティというのは何であるのかというのが問題になることを指摘されていました。 豊富なスライドをもとに、横浜市内に残されている建物の保存修復工事の前後写真を見せながら解説していただき、参加者にとってもわかりやすい講座であったと思います。 |
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元町の歴史とまちづくり 近澤弘明(近沢レース代表取締役) |
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第二回目の講義ではまちづくり倶楽部でも活躍なされている近澤さんに「元町の歴史とまちづくり」と題してお話をしていただきました。 講義では1859年の開港以来、関内という地区ができて、そこから移住をさせられた人間が、元町の地に居を構え、山手地区に住んだ外国人相手に商売を始めたのが元町のルーツであること、明治時代の大火、関東大震災、第二次世界大戦と度重なる困難からその都度復興を遂げてきたことなど、元町の歴史を踏まえて、元町商店街のまちづくりについて解説していただきました。 興味深かったのは、昭和30年代に米軍の接収が終わり、米軍相手の商売が成り立たなくなると、商売の相手をアメリカ人から日本人に変えて、当時20代の若い人たちに元町に来てもらおうと方針転換し、日本人向けに商品を開発してゆこうと決断した際の話で、ヨーロッパ視察を行って、各国のショッピングストリートと姉妹商店街となるなどの先進的な試みがあったことや、モノを作って店で売るという製造と販売が一体となった商売が元町の強みであるとの事でした。 また、現在の元町のまちづくりのイニシアティブを40代の比較的若い世代が担っていることや、常に危機感を持ちながら各店舗がオリジナリティを持つよう努力を続けていることなどが元町の成功の原動力であると感じました。 |
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都市とアート 南條史生(横浜トリエンナーレ2001・アーティスティック・ディレクター) |
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講師である南條さんは横浜トリエンナーレのアーティスティックディレクターの一人であり、企画段階から中心的に取り組まれてきた方で、トリエンナーレが開催されるに至った経緯や、様々な苦労、そして出展作品の解説なども含めてお話いただきました。 今回のトリエンナーレを開催することの意義は、日本という国として国際的な現代美術展を開催し、日本から情報を発信するということと同時に、横浜という「都市」から情報を発信することに意義があるのではないかというお話がありました。東西冷戦の終結以降、グローバリゼーションが進んでいく過程のなかで旧来の国とか地域といった体制が必ずしもアイデンティティを主張するものではなくなってきて、「都市」というものが重要となってくる。いわば都市のアイデンティティ競争になっている状況があり、そういった状況を反映して、現在トリエンナーレやビエンナーレを開催する都市が増えているそうです。 また、開催地を選ぶ以前から美術関係者の間では横浜の赤レンガ倉庫には注目していたこと、赤レンガ倉庫を二棟ともアートセンターとしていたら日本に誇る施設になっていたのではないかというお話も印象に残りました。
南條さんとしてはもっと歴史的な建築物を活用したり、まちの中で仕掛けをしたいと思っていたが、いろいろな事情があって実現には至らなかったそうです。次回のトリエンナーレではぜひ街中でも展開してほしいものです。 |
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ジャズと横浜 鶴岡博(関内を愛する会) |
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鶴岡さんは横浜スタジアムの社長であると同時に横浜ジャズの仕掛け人の一人でもあります。第四回ではその鶴岡さんをお招きして、横浜とジャズのつながりについてお話いただきました。 鶴岡さんとジャズの出会いは小学生の頃であり、伊勢佐木町の裏にあった米軍の飛行場の中の整備工場から流れてくるジャズを毎日のように聞いていたそうです。中高生のころは野毛のジャズ喫茶に通い、その後も本牧のブルースや、当時華やかだったナイトクラブの生バンドなど、横浜の音楽シーンを目の当たりにしながら育ったそうです。しかし、音楽が商業化していくなかで、音楽産業の中心は東京となり、横浜発の音楽というものも徐々になくなってきた。そこで、自らジャズクラブBAR BAR BARを開き、横浜ジャズ協会を立ち上げ、ジャズプロムナードを開催し、横浜発の音楽によるまちづくりに取り組んできたそうです。今年で10回目を迎えるジャズプロムナードを続けていることにより、この横浜では生の音楽を提供するところが増え、ミュージシャンたちの横浜に対する注目度が大きくなっており、演奏のグレードが上がり演出の仕方なども変わってくるという相乗効果を生んでいるそうです。継続は力なりといいますが、消えてしまった横浜の華やかな音楽シーンをよみがえらせるために、その小さな一つの種から育てていこうという鶴岡さんの言葉には、ハマっ子の気概が感じられました。 |
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横浜の都市と歴史 堀勇良(文化庁) |
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第五回では文化庁の堀勇良さんに「横浜の都市と歴史」というテーマで、横浜市内に残る近代土木遺産を中心にお話をしていただきました。タイミングよく講演会が開催される直前に日本大通で明治時代のものと思われる下水道マンホールと道路舗装の跡が見つかり、最新の発見も含めて横浜の都市づくりの歴史についてたくさんのスライドを見せながら解説していただきました。 横浜は1859年の開港以降に本格的に整備された近代都市ですので、道路、下水道、ガス、港湾施設などのインフラストラクチャーが当時の最新の技術を用いて建設されました。このような近代土木遺産は近代建築と比較して注目を浴びることは少ないのですが、都市の歴史を知る上で非常に興味深いものでした。 また講演の内容も、当時のマンホールには臭気を抑えるために木炭を使った脱臭装置がついていたとか、新港埠頭の下水道整備には日本で初めて鉄筋コンクリート管が使用されたなど、文字通り横濱「通」になるためのマニアック(?)なお話もあり、勉強になりました。 |
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横浜の老舗と食文化 荒井一男(荒井屋主人) |
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横濱発祥の食べ物「牛鍋」を食するという企画で、最終回は忘年会も兼ねまして、荒井屋のご主人、荒井一男さんに「横浜の老舗と食文化」をテーマにお話をしていただきました。 お話は、牛鍋の由来、すき焼きとの違い、昔の伊勢佐木町の話から、おいしい牛鍋の食べ方までバラエティに富んだものとなりました。 牛鍋の発祥については諸説あるようですが、1862年頃中区の住吉町にあった「伊勢熊」という居酒屋が初めて牛肉を扱うようになったというのが発祥で、明治17年頃には関内に12軒、関外に7軒の牛鍋屋があったそうです。現在横浜には明治創業の三軒の牛鍋屋があるそうですが、荒井屋さんの創業は明治28年だそうです。幕末に牛鍋が食べられ始めた頃は異端物食いというか本当にこういうものを食べていいんだろうかということもあって書生さんからはやりだし、そのうち、役人や豪商などの富裕な層も牛鍋を食べるようになり、高級料理になったようです。その後明治の中頃には庶民的な牛鍋屋が出現し、その数は増えていったのですが、関東大震災や空襲によってその数は激減し、関西からすき焼き屋が進出してきたことで、牛鍋屋とすき焼き屋が同居するようになったそうです。ちなみに、牛鍋とすき焼きの違いは、読んで字のごとく、牛鍋はグツグツと鍋で煮込むもの、すき焼きは汁気少なくジューッと焼くものだそうです。 |
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