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横浜・食の極人 vol.14 横浜の味を創る究極の達人たち

牛鍋処「荒井屋」

それぞれのお店には、その店の味を生み出す究極の達人がいます。このコーナーでは、そうした人びとに直撃インタビューをして、その素顔に迫っていきたいと思います。
14回目の今回は、横浜・曙町に本店を構える牛鍋の老舗「荒井屋」社長、荒井一雄さんです。

食の極人・プロファイル14 「牛鍋処 荒井屋」社長 荒井 一雄さん

写真1荒井屋の社長である荒井一雄さんは、昭和31(1956)年、横浜市でお生まれになりました。ご実家が明治28(1895)年創業の老舗であったため、幼い頃から家業を継ぐことを意識していたそうです。
中学・高校は横浜の名門校、聖光学院に通い、その後、明治学院大学に進学しました。中学・高校時代はサッカー部、大学では当時まだ珍しかったアメリカン・フットボール部に所属し、スポーツに熱中していたとのこと。非常に活発な学生でいらしたようです。
また、大学在学中にはアメリカへ留学し、さまざまな経験をして帰国。それからは、マーケティングを一生懸命に学んだそうです。さらに、サービスの勉強もしたいと思い立ち、ホテルオークラでアルバイトを始めました。それだけではなく、ウェイターの会である「配膳会」にも入り、サービスの研究に励んだということです。
大学ご卒業後は、そのままホテルオークラに就職。宴会や結婚式などの仕事に携わり、サービスについての知識や経験を深めました。
ホテルオークラに1年間勤めてから、今度は大阪の割烹に移り、さらに1年間の修行をしたそうです。かくして、さまざまな場で、多くの貴重な経験を積んでからご実家へ戻り、先代経営者の右腕として活躍されました。
そして、35歳のときに会社の代表としてのポジションに加わり、40歳で名実ともに荒井屋の4代目経営者になられました。それから10年、持ち前の行動力で新しいことにも挑戦を続け、111年という輝かしい伝統を守っておられます。



「小さい頃は家にいるよりも、いつも外にいるほうでしたね。」

写真_2「街なかの商業地域で育ちましたので、店舗があって、その上に住んでいるという人が周りに多かったですね」と、幼い頃を振り返る荒井さん。そのため、そこには1つのコミュニティが形成されており、その中の子供たちで野球やサッカーなどをして遊んでいたそうです。当時は、メキシコ・オリンピックでサッカーの日本代表チームが銅メダルをとったこともあり、とりわけサッカーに夢中になっていたということです。
また、「兄弟を連れて、よく家出をしていました」とのこと。別に不満があったわけではなく、家出して何時間で見つかるかというのを楽しんでいたそうです。
「その頃、母親は店に出ていたために、お手伝いさんが面倒をみてくれていました。それをいいことに、近くの公園や犬小屋に隠れていました」とのことで、ご両親やお手伝いさんを困らせる、なかなかの「やんちゃ坊主」でいらしたようです。

「ホテルオークラでは、財界のVIPや国賓の晩餐会も受け持ちました。サービスをするときの緊張感がまったく違い、よい勉強になりました。」

写真_3そんな少年時代を過ごされた荒井さんですが、大学に進学すると、アメリカン・フットボールを楽しむ傍らでサービスの勉強に勤しんだということです。そして、ウェイターの集まりである「配膳会」に入るとともに、ホテルオークラでアルバイトを始めました。
大学卒業後も、そのままホテルオークラに就職し、主に宴会や結婚式の仕事に携わりました。「ホテルオークラは、帝国ホテルや京王プラザホテル、ニューオータニと交替で、財界のVIPや国賓の晩餐会も受け持っていました。ですから、日本の首相やアメリカの大統領までお迎えしたことがあります」と、荒井さん。そうしたパーティーのセットとか、VIPへのサービスは緊張感がまったく異なり、非常によい勉強になったそうです。
また、サービスの研究に今も余念がない荒井さんによれば、「アメリカへ行ってマクドナルドに入ってみたら、朝食サービスやサラダ・バーなどの新しいサービスがありました。ところが、そうしたサービスが、しばらくすると日本でも流行りだしたんですよ。アメリカに行って見てくるだけでも、しばらく後に日本で流行するサービスがわかるということを実感しました」とのこと。「最近はそうならないこともある」そうですが、よいサービスを提供するためにはさまざまなものを見聞きしたり、体験するのが大切だということを教えてくださいました。

「大阪での修行は毎日が新しい経験の連続で、色々なことを勉強させてもらいました。」

写真_4 ホテルオークラで1年間仕事をした荒井さんは、食の都・大阪での修行を決意します。「大阪への修行は1年間の予定でしたので、大きい店に行ったら全部を見ることができない。1年では下仕事しかさせてもらえないけれど、それをしながらすべての仕事が見渡せる大きさの店に行きたい」と考え、修行先を探しました。
そんな折、条件にぴったりの店を知人から紹介されました。「その店は修行がすごく厳しいことで知られていましたが、そこの経営者は板前からたたきあげ、大きい割烹料理屋の料理長も務めた人で、大阪の料理界ではかなりの有名人でした」。
修行の初日、荒井さんは海外旅行に行くときのような大きいスーツケースと、スーツがたくさん入ったバックなどを持って店に行きました。「そうしたら、『こんなにたくさん荷物を持ってきたのか。この世界では普通、メロン箱一個だ』と言われました」。「メロン箱」というのは、蓋がしっかりとしたファンシーケースのような鞄のことです。
「修行のときは、そうした小さな鞄に持ち物すべてを入れておくものだと教わり、最初のカルチャーショックを受けました」と、荒井さん。このことをはじめとし、その後は毎日が新しい経験の連続であったそうです。

修行先での仕事はやはり下仕事でしたが、そこの経営者は「お前は1年で店の後継ぎになるんだから、ほかの奴らとは違う。だから、色々なことを教えてやる。銀行への振込みや、帳簿をつける仕事もやらせる」と言い、さまざまな仕事を経験させてくれたそうです。
そうした中で、荒井さんに課された仕事の1つが「まかない」を作ることでした。「1人1日100円で、10人だとすると1000円で済まさなければなりませんでした。魚の頭だとかのいらないもの以外、店の材料は一切使ってはいけないと言われたので、最初は自分のお金を出して材料を買ったこともあります」。しかし、近くのデパートの食料品売り場に毎日通っているうちに、「今なにが旬なのか、なにが安いのかということがよく分かるようになってきました」。また、同じデパートであっても、野菜が強いデパート、肉が強いデパートというのがあることも知り、それも貴重な勉強になったとのことです。
そしてときには、ほかの仕事が多くて、まかないにあてる時間が足りなくなってしまう日もありました。「それでも親父さんに『おまえ、まだやっていないのか』と、タオルで殴られました」。そのため、仕事を手早く片づける工夫を色々とし、どんなに仕事が多くてもきちんと時間に間に合わす努力をするようになったそうです。「1年間でしたが、多くの勉強をさせてもらいましたね。本当に色々なノウハウを身につけることができました」と、荒井さんは振り返ります。

「商売は、街との関係がすごく深いのです。お客様が荒井屋にお越しになることで、横浜を感じられるような店づくりをしたい。」

写真_3ご実家に戻り、荒井屋の4代目経営者となった荒井さんは、荒井屋を育てた横浜という街の個性や将来像についても常に考えてきました。
「横浜は、明治の文明開化のときに外国から色々な文化が入ってきて、それらが大きなエネルギーとなって育った街です。ですから、まちづくりにおいて、その頃をモチーフにした展開があってもいいだろうと早くから感じていました」。そこで、荒井さんは「横浜オールドタウン構想」を提案したということです。
「アメリカには長い歴史がありません。しかし、彼らは歴史を大切にしています。カリフォルニアの州都であるサクラメントは非常にきれいな街ですが、『オールド・サクラメント』という、明治村みたいに昔の街の風情を残した一角があります。このようにアメリカの街は、その中に古い街並みと新しい街並みが共存しており、街の発展の歴史を見られるようになっています」。自分たちが歩んできた歴史をふまえて新しいものをつくっていく。このことの重要性を、荒井さんは学生時代のアメリカ留学で学んだそうです。

「ですから横浜にも、文明開化の頃をイメージさせる街並みと、まさしく現代的な街並みとの両方があったほうがいいんじゃないでしょうか」。これが「横浜オールドタウン構想」の基本理念であるといいます。
今年で111歳になる荒井屋を育てた街、横浜。「商売は、街との関係がすごく深い」という荒井さんは、その横浜をとても大切に思っています。そして、「お客様が荒井屋にお越しになることで、横浜を感じられるような店づくりをしたい」ということです。

「これまで100年続いてきたので、あと100年続くようにしたいと思っています。」

今後の目標や抱負について伺うと、「100年続いたので、あと100年続くようにしたい」という力強いメッセージを返してくださいました。
「先代のときは、現在よりも多くの拠点を構えていました。色々な問題があって整理しましたが、今は少なくとも親父(先代)がやっていたときぐらいにまで、数を戻したいという気持ちがあります」。4代目経営者になって10年がたち、少し気持ちに余裕がでてきたこともあり、出店に対する考え方が変わってきたそうです。「何回か失敗を重ねていくうちに、自分はそんなに器用じゃないということが分かりました。それならば、『溢れるようになった分をこぼさないだけの器をつくっていく』という考え方で、新たな出店を進めていけばいいと気づきました」。

写真_4また荒井さんには、これから挑戦していきたいことが3つあるとのこと。その第一が、創業111年を区切りとして、新たに鉄板焼きを始めることです。「1回に1客しかとらないで、最高の肉を使い、最高のサービスを提供する。そして、お客様に最高の満足を感じていただけるようにしたいと思っています。お客様が見ている前で料理をしていくので、私たちにとっては接客の研究室としての要素もあります」。
そして第二は、新たな支店を開くことであるそうです。この支店では本店とまったく同じメニューを提供するということで、今秋にオープンの予定です。
第三は、海外への出店であるといいます。海外への出店は以前から考えていたそうですが、具体的にはオーストラリアに出店してみたいとのこと。「オーストラリアは日本と季節が逆で、冬は暑くて夏は寒い。ですから、日本とオーストラリアとで、あわせれば1年間安定した売上を確保できるのではないかという単純な発想です」と、笑いながら話されました。






インタビューを終えて

今回の取材の中で荒井さんは、一頭買いした牛を余すところなく美味しい料理にする方法を研究し、それによって「よいものをより安く」提供できるようにしているということや、きめ細やかなサービスによって客が最高の満足を得られるよう、接客にも気を配っていることなどを詳しく教えてくださいました。私はそうしたところに、老舗の風格や、由緒あるお店を守る人びとのプロフェッショナルな姿勢を感じました。
学生である私にとっては確かに高めの価格ですが、実際に料理をいただいてみると、とにかく「うまい!」。そして、思わず笑みが溢れて大満足。十分に納得できる価格であることを実感できます。また、2階にはそれぞれ異なった趣きの個室が用意されていますが、荒井さんによれば「色々な雰囲気をお客様に楽しんでいただきたい」からとのこと。料理以外のところにも、気配りとこだわりがあります。
競争の激しい飲食店は、「5年も続けば老舗」といわれています。そうした中で111年もの歴史を持つ荒井屋は、「横浜の名店」というよりも「日本の名店」というほうがふさわしいのではないでしょうか。これからも、本当に美味しいものを食べたいときに、ぜひ寄らせていただきたいと思います。
(横濱まちづくり倶楽部会員・杉山 卓)

今回の取材で荒井屋というお店を知り、先ず驚かされたことは、やはり創業111年という歴史です。代々経営を受け継いでいくということは非常に大変なことであるので、「すごい」という言葉しか浮かんできません。しかし荒井さんのお話を伺うと、この111年の間、創業の頃から守り抜いてきたものがある一方で、挑戦と革新を続け、ときには失敗したこともあるとのこと。初代経営者から引き継いだ2代目も、3代目も、そして4代目である荒井さん自身も、常に新たなことに挑戦し、失敗も経験しながら革新を起こしています。要するに、伝統は「同じことを継続する」という行為ではなく、「試行錯誤を重ねながら変えていく」という行為の上に築かれるものだということを教わりました。
また、威厳すら感じさせる老舗として、牛鍋はもちろん、すき焼きやしゃぶしゃぶでは徹底してこだわった素材を提供しつつ、ランチメニューやお弁当も用意し、私たちが肩肘張らずに老舗の味を楽しめるような配慮もされていることに感銘を受けました。決して築き上げた伝統にあぐらをかかず、多くの人びとから愛され、新しいファンをつくることに努力する姿勢には頭が下がります。
これからも、伝統の重みとともに親しみやすさのあるハマの名店として、いつまでも私たちの舌と心を満足させてください。
(同・田代 瞬)

私は、荒井さんから「牛鍋処」という看板を掲げながらもそれだけにとどまらず、鉄板焼きをも始めるという話や、海外への出店を考えているという話などを伺い、そのオリジナリティ溢れる発想と型破りな行動力に脱帽しました。普通であれば、111年という伝統を守ることにのみ腐心し、リスクをともなう革新を回避するようになってしまいがちです。それにもかかわらず、ストイックなほどに挑戦を続け、さらなる進化を追い求める荒井さんの姿勢は、経営者として重要なことを私に教えてくれました。
4代目経営者となって10年たち、少し気持ちにゆとりが出てきたという荒井さんは、いよいよ自分なりの考え方にもとづいた事業拡大に取り組んでいくという決意を語ってくださいました。そして、当面の3つの課題を明らかにしてくださいました。次の時代に向けて新しい荒井屋を切り拓いていこうとする荒井さんの挑戦に対し、心からのエールを送りたいと思います。
(同・木村純平)

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