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登良屋の二代目である荒井浩さんは、お店のある伊勢佐木町で生まれ育ちました。ずっと店の2階に住んでいたため、幼いころから料理をする環境の中におり、食材を目利きする力が自ずと磨かれたということです。
けれども高校を卒業すると、料理の道ではなく、大学に進学されます。そして、その後は3年ほどサラリーマン生活を送っていました。しかし、先代であるお父様の仕事への姿勢に深く感銘を受け、登良屋を継ぐことを決意したそうです。
かくして「食い倒れの街」大阪へ移り、そこで修行をはじめます。1年間の大阪での修行では、料理だけでなく人の温かさをも学んだといいます。そして再び、実家である登良屋へ戻ってこられました。
現在、先代がこだわりのうえに築きあげた登良屋を支え、多くの食通たちにこよなく愛される料理を提供し続けていらっしゃいます。
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生れたときからお店があり、ずっとお店とともに育ってきたという荒井さん。幼いころから、魚をさばくところなどを毎日、毎日見ていたとか。そうした環境もあって、ごく自然のうちに自分の食事は自分で作るようになったそうです。
しかし、すぐに実家の店では働かず、大学を卒業したのち3年ほど広告代理店に勤め、さらにそれから大阪に修行に行きました。大阪では、ある割烹料理のお店に、突然「お願いします」と入り込んで行ったそうです。ところが、「そこの親父さんがすごくいい人でね、料理をきちっと教えてもらいました」。
また大阪では、夜の街を一緒に飲み歩く友達が増えたのもいい思い出であるそうです。今でも、はるばる横浜まで尋ねてきてくれる大切な友達が、修行中にいっぱいできたと話してくれました。
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あまり店を継ごうとは考えていなかったという荒井さん。しかし、広告代理店で3年間働いたころに転機が訪れます。
広告代理店の業界はけっこう派手で、非常に華やかな仕事でした。それに比べるとお父様の仕事は地味でしたが、しかし「ものすごく正直な仕事だと思いました」といいます。
やがて、そうした“正直さ”に次第に惹かれるようになり、登良屋を継ぐ決心を固めたそうです。
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創業47年を迎える「登良屋」の店名は、荒井さんのお祖父様の名前「登良吉」に由来します。お父様が昭和33(1958)年にお店を立ち上げたときに、お祖父様の名前から2文字もらって店の名前としました。「商売をやるには本当にいい字ですよね。だって、『登って良くなる』ですから」と荒井さんはいいます。
荒井さんのお父様は、横浜・曙町にある有名な牛鍋の老舗「荒井屋」の三男としてお生まれになりました。このお店はご長男があとを継ぎ、お父様は独立して「登良屋」を開店したということです。実は当初、「登良屋」は定食屋さんで、魚料理のおいしい店として知られていたそうです。そして、天婦羅を出しはじめたのは40年くらい前といいます。荒井さんのお母様が網元の生まれであったため、ごく自然のなりゆきで魚料理と天婦羅が名物の店になっていきました。
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登良屋では養殖や冷凍の魚はいっさい使っておらず、
折々の季節の天然ものだけを使っています。
旬の新鮮な食材をあまりいじらず、できるだけシンプルな料理にして出すということにこだわっているそうです。これこそが、多くの食通たちをとりこにする極意なのでしょう。
登良屋のこだわりは魚だけではありません。たとえば、そら豆ひとつに対しても、お客様の注文を受けてから茹ではじめるというこだわりです。また、刺身のツマなどを作るときも機械はいっさい使わず、包丁一本でかつらむきからはじめていきます。
さらに、その季節のおいしいものは基本的にすべてお客様に出すようにしているそうです。そして、メニューは毎日替えるため、全部手書き。「欲張りで疲れちゃうんですけど、すべてのもの、あらゆることにこだわっています」と、荒井さんはいいます。
食材は毎朝、荒井さん本人が主に横浜の中央市場へ出かけ、長年の経験を頼りに、その日にあがった最高のものを仕入れてきます。「今は色んなところから仕入れてこないと足りなくなってきました」ということですが、さまざまな知りあいからよいものを仕入れさせてもらっているそうです。魚料理の名店としての登良屋の信頼、荒井さんの仕事に対する厳しい姿勢が高く評価されているからこそなせるわざです。
ところで、登良屋では昼食時のみ(午後2時まで)天丼を出しています。登良屋の天ぷら油は半分以上が胡麻油ですが、これは傷むのが速いそうです。とくに掻き揚げは揚げ続けると油がすぐに黒くなり、油の生きている時間がすごく短くなってしまうため、天丼はお昼までにしているとのこと。こんなところにも、荒井さんの完璧主義が光っています。
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最近では、コンビニエンスストアやファミリーレストラン、ファーストフード店などを利用して食事を手軽に済ませるような食生活にみんな慣れてしまい、本当においしいものがよくわからなくなってきているのではないでしょうか。
「昔は会社の上司が後輩を連れておいしいお店に食べに行き、そのとき連れていかれた人がそれをまた自分の後輩に伝えるということがありました。しかし、今は誘っても断られる時代になったので、上の世代の人と下の世代の人とが一緒に食べに行くというのが減ってきています。食へのこだわりを伝えていくのが難しくなっています」と荒井さんはいいます。
もちろん今でも、究極のこだわりをもって、おいしいものをきちんと出している店はあります。荒井さんは、「そういうお店がすたれないように、みんな本当においしいものをしっかりわかってほしい」と訴えています。お店に行って食べる側であるわれわれも、守るべき味を次の世代に伝え、日本の食文化をより豊かにしていくことに対して、もっと関心をもつことが大切です。
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お父様が築き上げてくれたものをしっかり守っていき、みんなから「あそこの店って、とてもおいしいのよ」といわれて何度でも来てもらえる店にしたいと、荒井さんは今後の抱負を語ってくれました。
お父様はたゆまぬ努力で、誰の味を真似したのでもない自分の料理を作りあげました。荒井さんも、その点でお父様を尊敬していらっしゃるそうです。
そんなお父様の背中を見ながら育った荒井さんですから、登良屋の守るべきものはほかの誰よりもわかっていることと思います。数多くの食通たちを唸らせてきた老舗の味を、ぜひ次の世代へしっかりと語り継いでください。
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■今回、荒井さんのお話をうかがって第一に感じたことは、荒井さん自身が登良屋のことを本当に好きなのだなということです。荒井さんにとって「登良屋」は仕事場でもあり、生まれ育った実家でもあり、自分の原点がそこにある「場」なのでしょう。そんな荒井さんがお店でがんばっているから、登良屋はいつまでも輝きを失わないのだと思います。また、仕事に対するひたむきな姿勢、徹底したこだわりには頭が下がるばかりです。まだ学生である私にとって、荒井さんの若いころのお話やアドバイスはとても参考になりました。
(横濱まちづくり倶楽部会員・望月裕也)
■数々の老舗がひしめく伊勢佐木町の街の中でもずっと輝きを失わないできた登良屋には、取材を通して感動させられたことや学ぶべきことがたくさんありました。中でも最も感銘を受けたのは、荒井さんの「これからも父がつくってくれたものを守り続け、みんなから『あそこの店っておいしい』といわれる店になりたい」という言葉です。老舗としての姿勢や味、伝統を守り続けるのはとても大変なことであるし、すごい重圧であると思います。それにもかかわらず、お父様の「正直な仕事」を語り継ぐために、果敢に挑戦していく姿に心からの敬意を表します。荒井さんならきっと登良屋の看板を守り続けてくれることでしょう。今後も伊勢佐木町に行くときには、その変わらない味を楽しみにぜひ寄らせていただきます。
(同・杉山卓)
■今回、取材させていただき、刺身や天婦羅といったメインを飾る華やかな料理はもちろんながら、そら豆や刺身のツマなどといった脇役的な存在のものにまで徹底したこだわりをもっている姿勢、そしてそれらのおいしさに感動させられました。荒井さん親子が創り出していく、食材の純粋さを追求した「正直な料理」は、登良屋だからこそ味わえるものです。これからも多くの食通の人たちに愛され続け、語り継がれていくことでしょう。
(横浜商科大学学生・星野まどか)
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