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横浜・食の極人 vol.06 横浜の味を創る究極の達人たち
「驛の食卓」
それぞれのお店には、そのお店の味を生み出す究極の達人がいます。このコーナーでは、そうした人びとに直撃インタビューをして、その素顔に迫っていきたいと思います。
6回目の今回は、「驛の食卓」から数々の傑作ビールを送り出している横浜ビール株式会社醸造長、榊 弘太さんです。
食の極人・プロファイル6 横浜ビール株式会社・醸造長 榊 弘太さん
横浜ビール株式会社・醸造長 榊 弘太さん榊さんは1971年に東京で生まれました。そして1995年、つまり地ビール解禁の年にビール職人を志し、それまで勤めていた酒販店を退職。ベルギーのビール都市・ブリュッセルを訪ねて、都市とビールの研究を始めます。帰国後、品川の「TYハーバーブルワリー」や秋田の「田沢湖ビール」で技術を磨き、現在は横浜市中区の横浜ビール株式会社で醸造長として活躍しています。
横浜に来てからの榊さんは、2000年にペリー提督伝来の黒船ビールや居留地スパイスビールなどを復刻して発表したり、2003年には横浜カレーミュージアムが主催した「ハマカレーコンテスト」に黒船ビールを使用したカレーで応募し、みごとにグランプリを受賞するなど、輝かしい実績を積み上げていきます。
さらに、2003年の「ジャパンビアグランプリ」では、彼が苦心の末に作り上げた「北鎌倉の恵み」というビールがエール部門の銀賞を、「横浜ビールアルト」がジャーマンエールアルト部門の銅賞を獲得しました。現在、榊さんはハマのビール職人として「ビール都市横浜の復活と創成」をライフワークに掲げ、新作ビールの研究に励んでいます。
ビール瓶には、幸せが詰まっているんです。
おじいちゃん子で、ビール好きなお爺様にビールをよくついであげていたという榊さん。
当時、瓶ビールの王冠の裏はコルクでできており、そのコルクをとって王冠の後ろから押し付けてバッチにして遊んだり、ビール瓶を横に倒して回し、バックスピンによって起き上がりこぼしのように戻ってくることを楽しんでいたそうです。大人になってからも、ビールを飲むとお爺様を思い出すという榊さんにとって、ビールはお爺様と過ごした幸せな子供時代や、楽しい記憶の象徴であるということです。
思い立ったら、すぐ行動にでるタイプなんです。
横浜ビール株式会社・醸造長 榊 弘太さん 図書館司書になりたくて、資格取得のための勉強をやりながら、上智大学にあるキリスト教の図書館でアルバイトをしていたという榊さん。その図書館の前に、日本一の業務用卸の酒販店があったそうです。
やがて榊さんは、飲食店に出入りする酒販店の仕事に憧れるようになります。そして、若いうちにできることをもっとやりたいと思い立ち、すぐにその酒販店に就職したそうです。その行動力には驚かされますが、これによって榊さんのビール職人への道が開かれました。
ビールはそんなものではない!
酒販店に就職してからの榊さんは、トラックでの配達や営業の仕事を経験します。そして、4年半ぐらいたったとき、新宿・歌舞伎町の150件の得意先に対して、ビール、ワイン、ウイスキーなどの酒類を売り込む仕事を任されました。そこでは、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリーの大手4社をはじめ、いろいろなメーカーの営業マンたちと一緒に働いたそうです。そして、それぞれのメーカーのビールを「いやというほど飲みまくった」ということです。
そうしている中で、榊さんは日本のビール文化に対して次第に不満を感じるようになっていきます。宴会の席ではお互いにビールを注ぎあい、飲むふりばかりしている。そして、気づくとビールがいっぱい残っているのに、「はい、お勘定」となる。ビールが好きな榊さんは、「何か間違っているんじゃないか」と思うようになったそうです。そして、日本ではビールがそんなふうに扱われていることが残念でならなかったということです。
残されないビールはないのか。そういうビールを作ることはできないのか?
横浜ビール株式会社・醸造長 榊 弘太さん「残されないビールはできないのか?」。そう思っていたところに、ベルギービールとの出会いがありました。ベルギービール専門店の担当になったとき、榊さんは「これは美味しい。これこそビールだ」と感じたそうです。そして、「自分がやりたいことはこれだ」と、ベルギービールの拡販員になりました。
しかし、ある事件がなければ、「今もまだベルギービールの拡販員をやっていたかもしれない」といいます。
あるとき榊さんは、客のドイツ人から「ボルバル」という修道院ビールを仕入れてほしいという要請を受けます。それはとても希少価値の高いもので、船便で1ヶ月かかるという了承を得て2ケース輸入しました。しかし、そのドイツ人の店の前で、配達員がやっと届いたビールを落してしまい、2ケース分を買い取らなければならなくなってしまったそうです。原価が非常に高いビールなので1人で損害を負担することはできず、彼と2人で買取り、その晩は飲み明かしたということです。
ところが、榊さんはそのときに飲んだベルギービールを忘れられなくなり、魔法にかかったように夢中になってしまったそうです。そして、会社を辞め、すぐにベルギーへと旅立ちました。
「この事件がなければ、ビールづくりはしていなかったでしょう」と、榊さんは笑いながらいいます。自分のやりたいことに、いつも正面から向きあってきた榊さんだからこそ、こうした運命的な出会いがあったのでしょう。
自分は、とてもラッキーだった!
工場内ベルギーにはビール通りというのがあり、朝から皆がビールを飲んでいるそうです。ベルギーに来た榊さんはビールの研究にいそしみますが、やがてビールをつくる工場を見たいという気持ちに駆られるようになりました。しかし普通、工場の中に入れてもらうことは容易ではありません。
ところが、いざ訪れてみると、どうやら見学に来た子供と間違えられたらしく、すんなり入れてもらえたそうです。実際にビールづくりを見て、いろいろと教えてもらいながら、懸命にメモをとったということです。そのメモは榊さんの宝物で、今でも大切に持っているそうです。
そして、日本に帰ってきたころには、ビール職人になれるほどの知識を身につけていました。やがて、品川駅の近くの天王洲にビール工場ができるという話を聞き、訪れてみると、ビール職人として来てくれと請われたそうです。ちょうど工場の立ち上げのときに入ることができたので、普通はビールをつくらせてもらえるまで何年もかかるのが、すぐにつくる仕事に携わることができました。「とてもラッキーだった」と、榊さんはいいます。これが、榊さんのビール職人としてのスタートでした。
ラガーをつくってみたい。
賞状品川の工場でビール職人としての第一歩を踏み出した榊さんでしたが、やがてビールづくりの奥義をもっと究めたくなり、今の自分の仕事が少し物足りなくなってきました。榊さんがつくりたかったのは、彼のお爺様が美味しいといってくれるようなビール、つまりラガービールでした。
そんなとき、たまたま秋田のビール工場の人が榊さんの工場を訪れます。そして、「ラガーをつくってくれる人がいなくて困っている」とのこと。話を聞くうちに、どうしてもラガーの技術を磨きたくなり、すぐに秋田のビール工場へ移ることを決意したそうです。その工場で、ラガーや黒ビールの製造法をきっちりと教わりました。
榊さんは、これまでにベルギービール、アメリカンスタイルビール、ドイツビールをつくる技術を身につけ、今では30種類以上のビールをつくることができるそうです。自分が追い求めるものには妥協をせず、果敢に挑戦を続ける榊さん。まさしく、真のプロフェッショナルです。
横浜にとって、ビールは郷土食だということを伝えたい。
横浜ビール株式会社・醸造長 榊 弘太さん横浜は、日本におけるビールの発祥の地。その横浜でビールをつくり、自分がつくったビールを発祥の地の人たちに飲んでもらいたい。そして、「美味しいビールじゃないか、と認めてもらうことができれば、ビール職人として最高に嬉しいことだと思うんです。だから横浜に来たんです」と、榊さんはいいます。
さらに彼は、「体がきついなんて当たり前だし、やりたいことをやっているから、お客さんが美味しいといってくれれば疲れなんて吹き飛びますよ」と続けます。そして、「完璧じゃなくてもいい。手作り感があっていい。いろんなイメージができるビールをつくっていきたい」と夢を語ってくれました。

「Do It Yourself、つまり自分たちでつくっていこうということを訴えたい。自分たちが飲みたいビールを皆で一緒につくろうよと呼びかけていき、これが俺たちのビールだといえるものを完成させたいです!」。これからも、横浜発の素晴らしいビールがきっと生まれてくることを確信させる力強い言葉を、私たちはインタビューの最後に聞くことができました。

横浜の食案内「驛の食卓」はこちら

横浜の食案内

インタビューを終えて
■今回、榊さんのお話を聞いて最初に感じたことは、自分のやりたいことを真剣に追求し、現状に決して満足せず、常に自分をレベルアップさせていくのが真のプロフェッショナルの姿なのだということです。榊さんは、ことビールに関してはきわめて貪欲なチャレンジャーです。この強い向上心があったからこそ、今の榊さんがあります。私も、そのような職業人を目指したいと、つくづく思いました。
榊さんのビールに対する熱い想いは、彼がつくったビールを飲めばすぐにわかります。皆さまも、ぜひ一度ご賞味ください。
(横濱まちづくり倶楽部会員・山内康資)

■黒船の来航により、ここ横浜から日本のビールの歴史は始まりました。今では、ビールはすっかり日本の食文化に定着し、日本中で広く飲まれるようになっています。しかし、ビールの本当の魅力、飲み方、味わい方を、私たちは理解しているといえるのでしょうか。ビールはただのアルコールではなく、また「とりあえずビール!」というような軽い飲み物でもなく、横浜から生まれた立派な郷土食だということを、榊さんに教わりました。横浜の文化、ビールの歴史、そして何よりもつくり手の熱い想いを知ることが、ビールの本当の魅力や、その深い味わいをしっかりと理解するために不可欠なのではないでしょうか。そうしたことを考えながら、もう一度榊さんがつくったビールを飲んでみたいと思います。
(同・坂本紘一)

■榊さんのお話をうかがって率直に感じたことは、本当の意味で「職人」と呼ぶことができる人のこだわりのすごさ、熱意のすごさです。榊さん自身は「自分のやりたいことであるから当たり前」と考えているのかもしれませんが、思い立ったらすぐさま実行するその行動力には、頭が下がるばかりです。現在、私はまだ学生ですが、自分の努力によってつぎつぎにチャンスを手にしていった榊さんのお話は、私のこれからの人生にとってよきアドバイスとなりました。
(同・望月裕也)
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