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横浜・食の極人 vol.04 横浜の味を創る究極の達人たち
隣花苑
それぞれのお店には、そのお店の味を生み出す究極の達人がいます。このコーナーでは、そうした人びとに直撃インタビューをして、その素顔に迫っていきたいと思います。
4回目の今回は隣花苑の女将、西郷槇子さんです。
食の極人・プロファイル4 隣花苑女将 西郷槇子さん
隣花苑の女将・西郷槇子さんは、誰もが知る横浜の偉大な実業家、原三渓翁の曾孫にあたる方で、まさにこの隣花苑で生まれ育ったということです。それもそのはず、そもそも隣花苑の建物は、三渓翁の長女である女将さんのお婆様の家でした。そして、この歴史ある建物や数々の貴重な美術品、それらのなかで育まれた大切な思い出をいつまでも残しておきたいということで、女将さんのお母様が自宅を使って隣花苑を開業したそうです。
一方、女将さんは慶応大学を卒業後、化粧品会社の宣伝企画の仕事をはじめとし、さまざまな仕事を経験しながら視野を広めていきました。そして、昭和52年に隣花苑に戻り、お母様の手伝いをしながら料理の修業を積んだそうです。今では隣花苑の二代目女将として活躍されており、三渓翁ゆかりのおもてなし料理をずっと守り続けています。

隣花苑女将 西郷槇子さん
「私は、この家で生まれ育ったんです。」
女将さんは、お婆様(三渓翁の長女)にとても可愛がられていたそうです。そして、「おばあちゃん子」であったということです。
女将さんが高校を卒業するまでは現在の隣花苑がご自宅であり、三渓翁に由来する数々の貴重な美術品に囲まれて育ちました。その幸せが今になってよくわかり、とても感謝していると話してくれました。
隣花苑女将 西郷槇子さん 「隣花苑の料理はいわゆる家庭料理であり、板前さんが作る料理とは違います。」
「三渓翁が自宅で知人にもてなしていた料理こそが、隣花苑の料理の基本です。そのことを間違えないようにして、自分の家にお客様をお呼びしておもてなしするという姿勢を守っていきたい」と語る女将さん。板前さんが作る綺麗な料理を出すことを目指すのではなく、誰でも作れる家庭のおもてなし料理を少し贅沢にし、それを少し贅沢な器に盛り付け、風情ある田舎家のなかで居心地よく召し上がっていただく、ということにこだわっているそうです。
「常に花をめでながら食事ができる環境をつくりたいと心がけています。」
三渓翁は「隣花不妨賞」(隣花、賞するを妨げず)という漢詩をとても好んでいたそうで、「隣花苑」という名前はこの漢詩に由来しています。一年を通じてさまざまな花が咲き誇っている三渓園に隣接していることもあり、花をめでながら食事を楽しむという風情を大切にしてきたそうです。
「花って人を呼ぶんですよね」と語る女将さん。隣花苑の庭にも数々の美しい花がいつも咲いており、女将さんの笑顔と一緒にわれわれをもてなしてくれます。

「お客様に教わることがすごく多いんです。だから、お客様に導いてもらってきたという感じがあります。」
時代の関心が「食」や「文化」に向いてきているなかで、その両方が融合した空間である隣花苑は非常に貴重な存在です。そして、それを理解している人びとから愛されてきたことが隣花苑の誇りであり、女将さんの幸せであるようです。「お客様には恵まれています。色々なことを教わり、導いてもらいました」と、女将さんは言います。
また、歴史と文化に満ちあふれた空間のなかで、そうしたお客様に対してどのような料理をつくればよいかを考えることは、非常にクリエイティブで楽しい仕事であるとも語ってくれました。
隣花苑女将 西郷槇子さん
こういう仕事は体力勝負。健康でないとできない仕事です。
「健康でないと美味しいものはわかりません。精一杯お客様をおもてなしすることもできません」と語る女将さん。小学校から高校まではバレーボールに打ち込む一方、学校外ではテニスを楽しんでいたそうです。また、大学ではヨットに挑戦し、何回か国体にも行ったとのこと。「8月になると、その時の仲間たちと今でもヨットに乗っています」ということです。
体を動かすのが今でもお好きなようで、それがきっと女将さんがいつも生き生きとされている秘訣なのでしょう。
自分の目で、社会をしっかり見ていこうという考えがありました。
「主婦をするだけではなく、どこかで社会とつながっていたいと考えていました。とにかく自分の目で、社会をしっかりと見ていきたいと思っていました」という女将さん。大学を卒業後、化粧品の宣伝企画の仕事などをしていましたが、これは年をとってまでやる仕事ではないと思ったそうです。そこで、自分が長くやっていける仕事は何かと考えたときに、隣花苑を継いでいこうという気持ちが固まったということです。



横浜の食案内「隣花苑」はこちら

横浜の食案内

インタビューを終えて
■隣花苑の建物は約600年前のものだということですが、このような伝統のある家をまったく知らない私でも懐かしさを感じるとともに、非常に落ち着いた気分になれる空間でした。それは、歴史ある建物が醸し出す重厚な雰囲気によるだけではなく、原三渓翁のおもてなしの心をしっかりと受け継いだ心あたたまる料理やサービスが私たちを迎えてくれるからだと思います。決して奇をてらわず、三渓翁の精神や姿勢をひたむきに守り続けていることに、私は隣花苑の素晴らしさを感じました。
(横濱まちづくり倶楽部会員・山内康資)

■隣花苑の建物は、私たちが生まれるはるか昔に建てられた非常に趣きのある建物です。また、三渓翁に由来する数々の調度品や美術品も大変素晴らしいものです。そして、それらに囲まれていただいた料理は非常に丁寧に作られており、心のこもったものでした。インタビューの中で女将さん自身も言われていますが、洗練された料理というよりは暖かく家庭的な料理です。しかし、ある一流料亭の料理長をも唸らせたと言われるその味は、確かな技術に裏打ちされています。
(同・板倉久雄)

■昔ながらの田舎家でいただく料理は、家庭的な雰囲気がありながらも非常に上品に仕上げられたものでした。また、部屋に飾られた数々の絵画や季節を彩る綺麗な花々は、隣花苑に脈々と受け継がれている三渓翁の芸術観の奥深さを私たちに感じさせます。日本の文化や歴史、それに根ざした「おもてなしの心」を大切にした三渓翁に由来する隣花苑だからこそ、「文化」と「食」のみごとな融合をここで感じることができるのだと思います。そして、それを守り続ける女将さんには、常に新しさを追い求めていくのではなく、伝統を重んじて静かに、ゆっくりと歩みを進めて行くことの大切さを教えてもらいました。
(同・坂本紘一)
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