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西洋のお城のようなこのシンボルを、私たち住民は「駒沢給水塔」と呼びますが、正式には「東京都水道局駒沢給水所配水塔」というそうです。 鉄筋コンクリート製で、南北に二基あり、それぞれ高さ約30メートル、最大内径約14メートル。塔一基あたりの最大容量は2775立方メートルに達します。建設当時、二つの塔で人口15万人に6時間給水する能力があったそうです。筒の周囲を、ギリシャやローマの神殿建築を思わせるような付け柱が12本ぐるりと飾られ、搭の一番上には薄い水色のドームがあり、天に水を捧げているかのようです。その周囲には、巨大な宝石のような紫色のガラス玉が取り付けられ、塔上部は、「王冠」と表現されます。このガラス玉の内部には電球が入っており、当時の駒沢の町に幻想的な雰囲気を醸し出していたのでしょう。 |

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駒沢給水塔は、関東大震災の翌年、1924年(大正13年)に竣工しました。東京都水道局の局員の方が、この頃は付近一面畑だったと話してくれました。構内に、当時のいきさつを記した「渋谷町水道布設記念碑」が残っています。その名のとおり、駒沢給水塔は、渋谷町に水を送るための施設の一部で、渋谷町が独力で建設した大事業でした。当時の渋谷町は、いまの渋谷区と比べ約半分の面積。台地が多く住宅地に向いていたため、明治末から大正初めにかけて人口が急増し、大正10年には、日本一人口の多い町となりました。そのため、井戸の枯れる家も現れ、水道布設の声が上がりましたが、東京府に建設を要請しても話が進まず、「それなら自分達の手で」と町の有力者が水道布設委員会をつくり、町営の水道が設けられたのです。布設記念碑には、工事途中の関東大震災でもびくともしなかったと書かれてあります。 水源は、多摩川本流の川底を流れる伏流水で、河畔に設置された砧下浄水場の濾過池にポンプで揚水し、約4km離れたここ駒沢給水塔まで送られました。給水塔のあるこの場所は、周囲よりも40mほど高く、渋谷町まではゆるやかな下り坂になっています。水は二基の塔に貯められた後、自然流下によって町民に供給されたのです。 |

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新しく出来た世田谷のシンボル、キャロットタワー(26階建て、高さ124m、三軒茶屋駅)とこの給水塔は、一本のまっすぐな細い道路で繋がれています。この道路こそ、駒沢給水塔から渋谷町へ送水本管を埋めた水道道路だったのです。道幅はわずかに2m70の細道路によって、世田谷の新旧シンボルが対峙されていることに改めて気づかされました。 その後、昭和7年10月に東京市に引き継がれ、昭和60年には「近代水道百選」に選ばれました。現在は、災害時の応急給水用タンクとして用いられ、目黒区、世田谷区の一部に配水し続けています。いま都内には、駒沢のほか、野方(中野区)と大谷口(板橋区)に給水塔が残っていますが、今もまだ動いているのは駒沢だけです。 |

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水は命の源。人間の生命の根源を支える聖水でした。今でも水の価値が変わるわけではありませんが、この当時は肌身に染みて貴重でした。大切な水を扱う施設として、近代生活の象徴として、宮殿のような装飾的な都市構造物が体現されたのです。二基の塔には「清冽如鑑(せいれつかがみのごとし)」、「滾々不盡(こんこんとしてつきず)」というパネルがはめ込まれている。給水塔は周囲のマンションに隠れ、影を落としてきているが、この「清冽如鑑」のような思いは、今もまだ「滾々不盡」残っています。 |
| ◆さて、今回は駒沢を紹介しましたが、このような地元のランドマークは存在をあまり意識することはありません。しかし、改めて観察してみると案外、身近にもありませんか?みなさんも散歩がてらに地元のランドマークを探してみてはいかがでしょう?(K・O) |