| 第23回 |
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街づくり委員長 三浦順治さん
(元町クラフトマンシップ・ストリート) |
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元町商店街の裏通りの話です。開港以来の歴史と伝統を誇り、全国的にも知名度の高い商店街ですが,一本裏の通りには商店会らしき組織はありませんでした。少なくとも戦後は無かった。
その通りに街づくりの任意団体「元町仲通り会」が発足したのは平成7年のことです。
会が発足する1年ほど前から地元の有志数人が集まって「この通りも少し盛り上げて行こうよ」なんていう程度のスタートでしたから、街づくりへの明確な理念や構想があったわけではありませんでした。
第一、通りの名前もあやふや。当時元町の人は商店街を「表通り」一本山側の通りを「裏通り」と言っていて、かつての「表日本」(太平洋側)、「裏日本」(日本海側)みたいに、これを差別用語だなんて息巻く人は誰もいませんでしたが、流石に“元町裏通り会”ではどうもカッコ悪いので、一部の地元住民が使っていた「仲通り」を無理やり引っ張り出してきた訳です。
このころ元町地区で注目されていたのが河岸の通りと代官坂通りです。
掘割川沿いはウォーターフロント計画の流れで、街づくりの専門家が次々と河岸の景観を絵に描いて提案してきました。
代官坂は山手地区との回遊性を考えると歴史的にも重要な通りで、横浜市も予算を付けて街路整備の青写真を作り上げていました。
「仲通りはどうやら置いていかれた通りらしい」そんな思いを抱きながらも、勉強会を開いて行政の方やコンサルタントの方の話を聴き、アンケートなんかを取って行くうちに、どうも“街づくりは大変”であることが解ってきました。資金も無ければ人材も揃っていない。だからといって今更引っ込む訳には行きません。皆でまとめた街づくりの方針はおお旨次のようなものでした。
- ゆっくりと変化して行く街づくりを目指そう。
- 「裏で作って表で売る」という製販一体の元町を再現して行こう。
- 住民といっしょに街づくりを進めて行こう。
粛々と街づくりを進めて、発足から10年あまりの歳月が過ぎました。
振り返ってみると、地区計画の導入、街づくり協定の制定、街路照明実験、フードフェアーの開催等など、「結構頑張ってやってきたじゃん!」という感じです。
そして今年は「商店街振興組合元町クラフトマンシップ・ストリート」という(長たらしい名前の)法人組織に生まれ変わり、念願の街路整備(ライブタウン整備事業)が着工します。
私は元町で育った地元住民で、商売はしていますが商店ではなく、どちらかというと製造業の分野です。
外に営業に行ってナンボの商売ですから、商店街がきれいになって街に人がたくさん来るようになってもあまり売上とは直結しないのです。
ではなんでこのような商業地区の街づくりに首を突っ込んでしまったのでしょうか?自問自答してみると、私はこの元町が好だということが判りました。
自分の家族を愛するようにこの街が気になって仕方ないのです。だからついつい口を出してしまう訳ですね。
横濱まちづくり倶楽部のメンバーも同様でしょう。多少の利害や大義名分は有るでしょうが、基本的には「横浜大好き人間」の集まりですから、楽しい企画が次々と出てくるのだと思います。
大切なことは続けて行くこと。次世代に繋がるまちづくりを続けて行きたいです。
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