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第10回
「My home town」 小田和正的幻影都市横濱分析 ♪♪「どんなに離れていても またいつか来るから」♪♪
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ハッスル(株) 小嶋 寛
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この前TVをぼっーと観ていたら、CMの中で、「根岸線」「朝のホーム」「海に囲まれて」「僕の生まれた街」 ・・・こんなフレーズが何だか心を打った。
小田和正の 「my home town 」である。
うちの女房は大阪出身のため、小田和正が嫌いだ(「なんだか、めめしい」と言っている)故に、石川町のタワーレコードで、小田和正のCDをこっそり買ってきた。そして夜中に会社のPCに入れて、歌詞カードを見ながら、20回も大声で歌ってしまった。(なさけない)
この歌詞、結構、横浜を愛する40歳以上の男女には泣けるのである。またこの歌詞のなかに中心市街地活性化のキーワードが散りばめられているのである。
歌詞をご紹介しながら分析してみよう
♪♪
「ここで夢をみた この道を通った
 できたばかりの根岸線で君に出会った
 まだ人の少ない 朝の駅のホームで
 待ち合わせた短い時 次の電車がくるまで」

分析・・・昭和39年5月19日に桜木町―磯子間に根岸線開通し、ハマっ子はこれを根岸線と呼び、決して京浜東北と言わない。特に、この舞台となった駅は勿論、石川町駅。時間は小田和正が聖光学園だったところから朝の早朝勉強の関係でAM6:30ぐらいだったように推測する。相手のガールルフレンドは、以降の歌詞の{僕ら}の表現から、グループ交際である事が分かる。そうなると男女交際に厳しく聖光とのバランスで、フェリス女学院であった事が推測できる。しかし相手は絶対に荻野アンナではなかったはずである。

「my home town my home town
 海に囲まれて ここで生まれた」

分析・・・ここが大好きなフレーズである。ハマっ子だけが言えるフレーズでmy home town (yokohama!)である。小田和正は金沢区の薬屋さんの倅なので、郊外区出身と言う事で2度もこのフレーズを繰り返すところからハマっ子の見栄がここで強調され、多くの横浜好きのファンがこのフレーズで心を動かすのである。因みに、中区出身であればきっとリフレインは1回だったかもしれない。(恥ずかしいのと、優越感で1回で充分である。)また「海に囲まれて」は中区の航空写真を見れば一目瞭然である。

「僕らの好きだった あの店はもう無い
 あの頃の横浜は遠く 面影を残すだけ」

分析・・・「あの店」はきっと元町商店街であり元町の店の隆盛を表している。確かに1964年と今では本当に激変をしているはずである。(もちろん、小田和正の実家の薬屋さんが元町に店を出したこともあり、今は無い事も皮肉めいて表現しているはずである。)「元町」の名は残っているけれど、どこの都市にもある店が軒を連ね、チャーミングセールも興奮することも無くなってしまった。「当時のセンスの良さ・ハイカラさ何処に」が歌詞の裏に隠されている本音である。しかし、小田和正に言いたい事がある。「このごろお前、元町に来てないだろう、結構良くなっていて、昔の雰囲気が戻ってきてるぞ」

「my home town my home town
 どんなに変わっても 僕の生まれた街 どんなに変わっていても」

分析・・・この気持ちすごくわかる!女房の体形と自分の体形がどんなに崩れても、愛が情(なさけ)に変わっても・・・・今を忘れて、過去にどっぷり浸ることができるのである。20年前の結婚披露宴のビデオを見ながらため息をつくように・・・横浜観光集客のモチベーションの真髄がここにあるように想える。(今はどうであれ、面影をステキに演出しているのがヨコハマの大きな源なのだ。)

「あの頃ここは僕らの特別な場所だった
 今でもここに来れば 丘の上 僕らがそこにいる」
分析・・・中心市街地を囲むように横浜は「山」ではなく丘の街である。小田和正の歌詞には横浜を歌うとき「丘」必ず使っているが、とても的確な表現である。明治の頃から横浜の丘は日本では特別な丘であり、神戸の「山」とは徹底的に違うのである。
しかしながら、歌詞の中の「特別」とは淡い恋の「特別」であり、深層心理的な「特別」である。


「my home town my home town
 海に囲まれて ここで生まれた
 my home town my home town
 どんなに離れていても またいつか来るから」

分析(総合分析兼ねる)・・・このフレーズを歌詞のファイナルにした事は小田和正の非凡な才能である。横浜は遠くに離れて思い出が募る場所、昔の思いでは何時しか美化され、現実から遊離するものである。
「どんなに離れていても またいつか来るから」これが横浜である。
横浜はこの「my home town」の歌詞に出てくるように、多くの人に思い出をつくってくれている、幻影都市なのだ。この幻影づくりに皆で積極的に取組むべきである。その中で大切な事は、新しい幻影を作り出すべきであり、過去を振り返るばかりでなく、これからもハード&ソフトにおいて幻影を具体的に表現すべきである。もしかして、うちの子ども達が恋をするようになったら、汽車道・赤レンガ倉庫・大さん橋国際客船ターミナルも僕の時代には無かった“恋する幻影構造物”になるかもしれないし、60歳以上のリベンジの恋の歌になるかもしれない。


これって、できたら横浜市立大学の入試問題や横浜市役所の職員採用試験に出して欲しい!

最後になるが、僕は言いたい!「ありがとう小田和正。あなたは、素晴らしい横浜のセールスマンです。この歌で少なくても1,000人以上は横浜を訪れたと推測します。」

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ハッスルこじま筆者プロフィール
ハッスルこじま

まちづくりソフトプランナー
1960年横浜生まれ。
横浜が好きでこの仕事に就き、天性の仕事であると自分に言い聞かせている。趣味は横浜のあら捜し。現在は、ハッスル株式会社というけったいな会社をすでに18年もやっている。横浜はこの頃金にならないので、楽しく地方で出稼ぎにいそしんでいる。
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