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第1回
タイトル
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photo 倉田 直道
工学院大学/(株)アーバン・ハウス都市建築研究所
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遊動都心の創造


 今、都心は遊びの場ではなくなってしまった。そしてそこに生活する人々も、街で遊ぶことを忘れてしまった。少なくとも自由にできる時間が増えたにもかかわらず、遊ぶという点では不自由になってしまった。カラオケ、パチンコ、ゲームセンター、居酒屋、車、ショッピングセンターなど、一見遊ぶモノは溢れているが、これらは何れもあらかじめ用意されたお仕着せの遊びである。


今多くの都市では用意されたモノを相手に遊ぶことしか選択肢がないのである。遊びの真髄は発見や工夫することの楽しみであり、本来創造的なことである。遊びこそが街の文化の源である。工夫する楽しみや発見、そして人との出会いの無くなった街の空間はもはや遊びの場ではない。かつての都心では街の全てが遊びの対象であった。食事をして人と語らうこと、表通りから裏通りへそして裏通りから脇の路地へと心の赴くままに街を散策すること、市場や商店の店先を覗いたり冷やかしたり、人々が行き交うのを眺めることなど、そうした日常の行動の全てが、ちょっとした工夫をすることで新鮮な体験になったものである。


単純なことだが、面白くなければ人はまちを訪れないし、歩き回ったりもしないし、また工夫をして遊ぼうといった動機すら生まれない。今、楽しく遊びたくなるような街が必要なのである。そしてまちが都市文化の孵化器であるなら、まず多様な遊びの場や仕掛けを準備しなければならない。ここで言う遊びの場や仕掛けとは、必ずしも遊興施設を指すのではない。古今東西、まちを楽しむことの基本は、街を歩くことから始まる。歩くことで人と出会い、発見があり、賑わいやコミュニケーションも生まれる。


横浜はどうだろう。毎年何回か、学生達を引き連れて横浜のまち歩きしている。特に、建築学科に入って間もない1年生を引き連れて横浜のまちを歩くことが毎慣例になっている。桜木町駅から、MM21、新港地区、馬車道、伊勢佐木町、大通り公園、くすのき広場、日本大通り、開港広場、山下公園、元町と行ったコースが基本形で、これに中華街やポートサイドなどが加わることもある。今年は、いつものコースに、赤レンガ倉庫、大桟橋の国際客船ターミナルに加わった。学生は毎年変わっているのだが、私は毎年付き合うことになる。そろそろ別な場所に変えようかとも思うのだが、いろいろ考えても横浜に代わる場所が思い当たらない。その結果、また横浜を歩くことになるのだが、何度も同じコースを歩いている私自身、毎回新しい発見があり、それが横浜のまち歩きを続けている理由にもなっている。毎回歩いて感じることであるが、横浜には実に多くの顔があるということである。それも、都心部だけでも多くの表情があり、そのモザイク的な表情が毎年変化している。

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一方、毎年歩いていて感じる別な点もある。変化に富んだ多様なまちの表情は、大きな横浜の魅力であるが、近年付加された要素にはあらかじめ用意されたお仕着せの遊びが増えてきているようにも思う。また、モザイク上に横浜のファブリックを織りなす、個々の地区がそれぞれ分節化されていることである。その一つ一つの表情は、個性的かつ十分に魅力あるものであるが、その個々の地区の間を移動するとき、その間の繋がりが希薄であり、そこを移動する動機づけが不足していることを強く感じる。我々のように、コースを設定し、それを歩ききることを目的にしている場合を除けば、個々の地区の中でまちを訪れる人々の活動は閉じてしまっている。
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横浜は、我が国でも少ない遊びに満ちたまちである。しかし、その遊びは飽くことのない好奇心を刺激し続けるものでなくてはならないだろうし、創造力をかき立てるものでなければならないだろう。
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